
デザインを学んだ人なら聞いたことがある「バウハウス」。その正体を実はあまりよく知らない、という人もいるのではないでしょうか?実はバウハウスは、現代の私たちのデザインにとても影響を与えているんです。この記事では、バウハウスとは何なのか、そしてバウハウスのどのような取り組みが現代のデザインに通じているのかを紹介します。
バウハウスによって工業化と芸術の統合を目指すモダニズムは始まった
バウハウスについて知る前に、当時の時代背景にあった「モダニズム」について整理します。モダニズムとは、19世紀末〜20世紀初め(日本の明治時代)に起きた、主に建築や絵画、文学などの芸術分野での変革運動全体のことを表します。「現代主義」という和訳から想像できるように、これまでの古い様式から新しい様式を求めようとする様々な活動がヨーロッパを中心に展開されました。モダニズムというワードは広義であり、変革運動の間やその後に生まれた思想・様式を説明する場合の表現にも使われます。
そのように様々な事象を表すモダニズムですが、デザインの視点で切り取った場合には特に、バウハウスがその始まりを作ったと言えます。第一次世界大戦以降の1920年代頃から、新しい時代のためのデザインとして、工業化と芸術の統合を目指したバウハウスの活動により、モダニズムの様式が確立されていったのです。この 時代に生まれたデザイン理念は、それからの工業デザインやグラフィックデザイン、具体的には現代のWebデザインの主流であるフラットデザインの原点とも言えるスイス・スタイル(インターナショナル・タイポグラフィック・スタイル)にも通じ、あらゆるデザイン分野の発展に大きな影響を与えました。
バウハウスとは?現代のデザイン教育の本質を作った、ドイツの造形学校
https://en.wikipedia.org/wiki/Bauhaus
バウハウスとは、ドイツの建築家ヴァルター・グロピウスが1919年にドイツに創立し初代学長を務めた造形学校です。グロピウスは第一次世界大戦で敗戦したドイツで産業を発展させるため、新しい時代のためのデザインを作っていくためには芸術教育の刷新が必要と考え、バウハウスを創立しました。建築、絵画、彫刻といったあらゆる芸術活動は統合して教えられるべきであり、芸術家同士はそれぞれの分野を理解し、影響し合える環境が必要であると考えていたのです。バウハウスの教育の特徴として、工房教育があります。学生や教授は芸術家としての垣根を超えて、そこで一緒に手を動かして新たなデザインを生み出すための追求をしました。
バウハウスが続いたのは実は14年という短い期間です。その間に戦後の社会情勢の影響を受けながらも3つの土地を移動し、3人の学長がいました。最後の学長であるルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエの名前を耳にしたことがある人がいるかもしれません。ミースもまた、グロピウスと同じドイツの建築家で、デザインした有名な椅子「バルセロナチェア」を見たことがある人は多いのではないでしょうか。また、ミースが残したとされる有名な言葉、”Less is more(少ない方が豊かである)”は、現代のプロダクトデザインやUIデザインでも好まれる考え方と言えます。
https://en.wikipedia.org/wiki/Bauhaus